射影鏡 にのみやさをり殿 » ヤマサキコージ
そもそも写真を始めたのは何がきっかけだったのですか?うーん、写真には全く興味なかったですねぇ。まぁ旅行とかイベントの時に普通に押す程度で。
2002年の秋頃に実家から電話があったんですよ。「あんたの部屋にあったもん全部捨てるから早よ整理しに来ぃーやー!」と。んでまぁ渋々片付けてた訳なんですけど、その中に古臭い(匂いもする)自分のアルバムを発見しましてね。それは自分が撮り残したものではなく、僕が生まれてから小学校低学年くらいまでの間に親父が僕を撮ったやつだったんです。それこそ1年分が1ページぐらいだったりするんですけど、これがね、きっかけ。
白黒からカラーへ移って行くその時代と自分、どこが100年プリントやねん!っちゅうぐらいに色褪せ引っ付いてしまった写真群たち。うーん、1コマ1コマからいろんな思い出が蘇りました。閉じ込められた自分だけの思い出(過去)として再認識させられるだけではなく、自分を囲む家族や当時の人々の「今」をも感じさせられます。再会して良かった。
自分が家族を持つようになった今、直感的に自分も何かを残さなければいけない(残したい)という使命感のようなものを感じたようです。
それから「あると便利」てなノリで買ってたデジカメで家族やら日常を意識的に撮るようになりました。写真というものを少し意識しながら撮り始めたんです。それが1つ目の引き金かな?
二つ目の引き金は何といってもその間で出合った数多くのサイトでしょう。
自分が写っていたアルバムにはない、何か違うものをたくさん知りました。心から楽しさ溢れる笑顔や愛する人とのその空気感、撮影者自身が持つ心の焼き付けであるとか、出会うもの全てが新鮮でした。
うちの親父はスーパーウルトラ亭主関白で、メシがまずいだけで茶碗をひっくり返すような、今で言うキレ易い男でした。そんな親父の当時の趣味がこれまた写真で、撮る時になったら恐い顔して「おい、お前らみんな笑え!」とかいうヤツです。笑えるかー! 古いアルバムに写ってる自分の顔はどれもこれもしかめっ面ばかりでね。楽しそうな顔してるのは全くないんですよ。おかんは引きつり笑いでしたがありゃウソです。
楽しい写真(時間)との出会いはその年の12月、hitomiさん(今は無きoops?phoTograph)が撮り続けてた酔っ払いLOMO写。あぁ写真ってこんなにも楽しく残せるもんなんだなぁと感激。次に辿り着いたのが大人の写真。モリユジさんのdacafeに出会ってはもう「コリャ何が何でも写真撮らなあかんな」と。
いろんなタイミングが写真を始めるきっかけとなったんですが、最終決定打は1台のカメラでした。
翌年を迎えての正月、「なんか写真でも始めようかなと思てね」とボッソリ親父に話すと、「そこの引き出しに入っとうカメラ、それ持って帰れ!」と少し嬉しそう、かつ暴力的(キレ気味が普通)な答えが。それはあのアルバムにいる僕を撮り続けた1台の古いマニュアルカメラでした。使い方はさっぱりわからなかったけど、すぐローソンでフィルムを買ってきて元旦の家族を撮ったのを覚えてます。それがホントの意味でのスタートだったような気もします。
きっかけはそんな感じですかね?
もうひとつの質問、写真の次はどこへ進むか?
その前に自分の中で100%完結できるということがこの先あるのだろうか?と思ってしまいます。
僕は以前に答えなき問いという自分の日記の中で、「写真でなくてもいい」と書いたことがあります。写真について人と話す時もそうでした。自分の確たるモノさえあれば、行き着くところは写真でなくてもいいと。でも今は既に否定的。
幼少期から熱し易く冷め易い、ある程度の場所まで行くのは凝り性ゆえ人よりも数段早かったのですが、そうなるともう次のものに興味が湧いてポイとやめてしまう、そんな性格なのにこの「写真」というもの、ある程度の場所どころか3歩進んだら5Km下がるみたいな...。清子のヤツもマっ青です。
やればやるほど進めなくなるんですね、コレ。技術的なことはいくらでも学べる世界は用意されているのでしょうが、それ以外に必要な要素があと99%ぐらいあるように思えてねぇ。深いというか底なしというか。そこが逆に手強くておもしろくて、今はもう「写真でなくてはならない」状態に陥ってしまいました。
100%完結することは恐らくこの先、500光年ぐらい先になるのではないでしょうか。今の自分には考えられない。遠すぎます。いやその前に超が4億個付くぐらいの初心者だということを忘れていました。いや答えになってないですね、すいません。
写真以外、もし写真というものに出会っていなくても、きっと僕はアナログプレイヤーな道を選択していたような気がします。もし映像に走ってたら今ごろ多分「フジカ・シングル・エイト」回してると思います。カタカタいわせながら。
仮に写真をやめて次の何かに没頭していたとしても、やっぱりきっとアナログ野郎でしょうね、一生。
時と共に変化を続け、やがて空気や土に吸収され朽ちてゆく。人の記憶のようにいつか曖昧になりカタチを無くし消え去る、そんな自然な世界が好きなんですよ。

ある時あるサイトの写真に出会う。何かを感じさせる写真群。いつも見ているとその写真以上に撮影者自身への関心もわいてきますよね。
時に愉快で楽しく、時に切なくてまた哀しい日々。Humpbackerは被写体というよりもjunpei君自身の心の記録を感じさせてくれます。
そんな日々を撮り続けているjunpei君にとって、写真とはどういう存在ですか?
また、どんな過程を通り過ぎて今の自分の写真があるのでしょうか。そんな関わり方を聞いてみたいです。